現虚夢

イェーイ

どんどん適当になる

しばらくはてなブログに投稿をしていなかった。大学の友達にツイッターアカウントがまたバレたので、このブログの存在もたぶん知られただろうからだ。でももう流石に見てはいないだろうから、たまには何かを書こう。

というよりも、見られていてもいい。さいきん僕は人間関係が全て適当になってきていて、何も気にせずものを言うようになった。誰にどう見られてもいい。恥ずかしいことを平気で言おうじゃないか。酔ってなきゃ言えないようなことをずっと話し続けよう。そうしているとなんだが陶酔したような気分になってきて素晴らしい。

人間関係が雑になったお陰で、性的に好きな女の子を飲みに誘えるようになった。なんにも良い格好せずとも、体裁を整えずとも「飲みに行こうぜ」とひとこと言えれば案外なんとかなるものだ。前はぜんぜん話しかけられなかった。あまり丁寧にやろうとするのも良くない。適当にやっていきたい。人生、てきとうに。

あんまり考え込まなくてもよいのだろうか。もっと雑に生きれば上手く行くのかな?なんというか、躊躇をなくすことが上手い人生のやり方な気がしてくる。とりあえずやってみるという気力みたいなものが、どうにも僕は弱い。

こうやって適当に文字を並べることが、僕はなんとなく好きだ。なんの体裁も整えられていない、いきあたりばったりで躊躇も推敲もなにもない文章を書くのが好きだ。もしどんなにこんな文章を書いて分量が溜まったところで、あまりにも内容に統一性がなさすぎて本になんかできないだろう。

こういうことをしてお金を得ることってできないだろうか。ユーチューバーみたいに生きたい。今のところ文章でユーチューブみたいに単純な閲覧回数で稼げる物書きって不可能な存在なんだよな。そのうちそういう物書きも出始めるのかな?

独りものを考える時は、人の話なんかなんにも頭に入らない。人の話の途中で人の話の細部について考え出してしまうから、全体として何を言っていたのかなんてすぐに分からなくなる。すぐに脇道にそれて妄想を始めてしまうから、それに気づき(サティ)を入れて強引に思考を引き戻さなくてはならないのだが、気付いてなお思考をやめられないときがある。

ここまでほぽノンストップで文章を手の動くままに書いた。この文字もそうだ。こういうのって異能のひとつではあるのかな?でもラップはぜんぜんできない。575は比較的detectしてしまうが。こういうことができてもおそらく小説家にはなれないんじゃないかな?だってああいうのって、話の大枠がなんとか思いつかないと、しょうがないんじゃないのかな。僕はなんというか物語みたいのを考えるのはすごく苦手な気がする。桃太郎とかに「柿じゃだめなの?」とツッコミを入れてしまう感じの人間だ。あんまりそういうことをすると、大抵社会ではやっていけない。「なんで残業するの?馬鹿っぽくない?」と言ってしまったらそうとう顰蹙を買うんだろうね。どんどん雑になっていく僕のコミュニケーションでうまくやっていけるのかな。あれ、最初の話に戻ってきた気がする。

僕は救いを求めている。雑なこれで生きていきたいし、そうでなくとも、雑な僕を誰かに理解してもらいたい。雑にこうやってバーッと話すとさいきん彼女が泣く。僕の言ってることはぜんぜん理解できないらしい。なぁ、このバァーッて言葉を並べるやつ、これめっちゃ好きなんだけど、誰か俺を救ってくれよ。救ってくれなくてもいい。理解してくれよ……。