現虚夢

イェーイ

〈追記あり〉ウォルターはサンドラの顔くらい覚えていたし愛していたかもしれないが、父は俺の顔を覚えていなかったし愛していなかったと思う

小学2年生くらいのことだったろうか。俺は運動会に出ていた。笑顔で駆け回っていた。父はビデオカメラを回していた。母は弁当を持ってきた。

家に帰って父はビデオカメラの映像をテレビに繋いで写し始めた。運動会が終わって日に焼けてヘトヘトの体で映像を見ていると、テレビには同学年のトウヤ君が写っていた。俺ではなかった。疲れていても少しさわやかではあった心が陰った。

 

「これは俺じゃないよお父さん」と言った。父は笑って「似ていたから分からなかった」と言った。母も「あれだけ人がいたのでは仕方ない」と父を擁護した。

言葉にできないタイプのモヤモヤした雲が高速で心の周りを回転していた。怒るべきではないか?と思っていたかどうかは忘れた。とにかくモヤモヤしていたのは確かだが。俺は何も言い返さなかった。疲れていたのもあったし、そのころの俺は不満を明晰な言語で表して表明できるほど言葉をうまく操ることはできなかったのもあった。何を言ってもどうしようもあるまいという諦めに数秒で達していたと思う。そもそも多数決で負けている。俺は良い子だった。多数決の内容を内面化していた……が、しきれていなかったようだ。今ふと、嫌な記憶として思い出してしまったのだからそうだろう。

 

俺は何の話をしてもマジにならないが、唯一親の話だけはマジになってしまうような気がする。たまにはマジになって、誤ることをためらわず意見らしきものを力強く述べてもいいのではないか。生殖とか、子どもとかペットとかの家族の話もそうかもしれない。そういう話はなんだか冷静になれない気がして嫌いだ。

 

父はなんにも俺に興味がなかったように思う。母もそうかもしれないが、母は興味が無いというより自分と違う人間を理解する能力が決定的にないだけで、そもそも父は興味がないことが俺を理解できないことに先立っていたように思う。

 

俺はいつしか不登校になった。学校から先生が来て、父は先生に言う。「こいつが何を考えてるのか分からない。私も辛いんです」と。そうだろう。顔の見分けもつかないくらい俺に興味なんかないんだから、そりゃあなんにも分からないだろう。

父は46歳くらいで俺を子に持った。ちなみに俺は一人っ子だ。父は俺を子に持ってからすぐ飲酒運転で交通事故を起こして会社をクビになり、それからずっと無職だった。母はずっと看護師として汗水垂らして働いている。無職だから俺は父が嫌いなわけではなかっただろう。単純に嫌いだった。ありあまる時間を、ただ嫌韓サイトを見て義憤を燃やすことに使っていた。地獄かよ?金だけは持っていたから、「育ててやったのは誰だと思ってるんだ」式の糞ファッキン語もよく用いた。俺になんて興味はなかった。俺にとって父はただ毎日家でネットを見て、毎日他のオッサンと酒を飲み、毎日俺に不愉快な言葉を浴びせるただ臭いだけの同居人の男だった。嫌いにならない理由がなかった。

 

あるとき、父は俺に「お前はおかしい」と言った。いつも語気荒く反論して、時には首を締めて顎を外して気絶させたり、包丁を持って追い掛け回され鼻血で呼吸できないまま外を裸足で走って逃げたりしている俺だったが、このシンプルな言葉を聞いたときはただそれだけで一瞬で涙が上がってきて反論できなくなり、さめざめと他の部屋に行って泣いていた。1時間くらいただ涙が出て止まらなかった。なぜこんなシンプルな言葉で俺が泣いたのか、今でも良くわからない。しかし、忘れることはない。無理解をこれ以上無く表明され、そしてこれから理解することもないし理解するために努力することもない、とも表明されたように俺には感じられたのだろうか。とにかく、とても短い言葉に反比例してとてつもなく大きな絶望を短い時間のうちに感じ、脂ぎっていて血の気が多かった俺でも女の子のような泣き方をした。俺だって親は特別なものだと思っていた。最後の味方だと思っていた。でも違った。俺には世の中に味方なんて一人もいないということを悟った。ああ、ずっと一人だ……。そんな気持ちだっただろうか?

 

今は悟っている。そもそも俺は一人だってことは、はじめから分かっているじゃないか。

人は独りを嫌う。一人で飯を食うことを「ぼっち」と呼んでことさらに寂しさを表現する。みんなで集まりたがって、ワイワイ騒ぎたがる。最初から人間は一人だ。二人である人間なんて見たことあるか?みんなそれに気付かないように、忘れたいように、みんなで集まって互いをダシにして現実を見ないようにする。別にそんなことしなくたってよいようなことをみんな有り難がるし、時には人に強制させたり、考えを押し付けたりする。違うんや。俺は一人だ。わかるか?俺は二人じゃない。

 

怪奇!!!!怪人二十面相!!!!!!!!!!!ただし相貌失認。み、た、い、なーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

父は相貌失認だったのだ。だから俺の顔を見分けられなかった。発達障害だから会社もクビになるし、俺とのコミュニケーションは上手くいかなかったのだ。実はめちゃくちゃ息子のことを愛していた。そういうストーリー、どう?感動的?

 

心理検査を受けて、人の顔が描かれた絵を見せられた。「これになにか欠けているところはありますか?」全然分からなかった。俺も人の顔の見分けがつかないのかもしれない。もし俺が子どもを持つことになったとして、もし他の家の子どもを自分の子どもだと認識してビデオで写してきてしまったとしたら?ゾッとする。俺は俺を再生産することは絶対にしたくない。俺は幸福だけど、俺の幸福は俺のものなんだ。子どもくらい、子ども自身の幸せを享受してほしいじゃないか……。


〈追記〉父さんは二年前に死んだ。わりとあっさり死んだ。享年66歳。それなりに早く死んだが、まぁアホだったのでそうなるな、という感じ。

父さんは最後まで嫌な奴で、死ぬ直前までただでさえ看護師として働いている母を毎日病院に呼びつけ、意味もなく手間がかかるようなことばかり大量に母に頼み、アマゾンで100万円相当の買い物をして毎日大きなダンボール50箱程を家に送り、最後まで悪あがきをして死んだ。最後に良いやつだったと分かるラスボスみたいになるよりはよっぽどいい。一貫性があっていい。

わりかし早く死んでくれたので本人も周りも苦しまず済んだ。春休みに死んでくれたので葬式にも出れた。人が死んで嬉しいことなんであるもんだ、と思いながら葬式に出席。母が死んだら俺が喪主だ。今から面倒くさい。自分の葬式の準備くらいしてから死ぬのが日本人のマナーではないかね?

父が俺に残したものはなにもない。高尚な遺志も信念もない。なーんにもない。知恵も知識も授かってない。ダメ。全然何も無い。父のことなんかこのページに書いてあることが全てと言ってもよいくらい。それくらい空虚。

そしてこれを書き終わったら、もう本当に誰かに思い出されることは中々なくなる。父は俺の中で終わって、死ぬ。たぶん誰も父のことなんか気にしていない。それでよいだろう。特に悪名もないから立派だよ。お父さんさようなら!心置きなくこの文章を閉じたい。息子がきれいさっぱり父親に引導を渡すんだから、これ以上綺麗なことなんてない。


〈追記の追記〉

すごい嫌な文章になってしまった。ほぼ悪口しか書いてないじゃん!これだから家族の話はマジになってしまうと書いたのだ。でも本当に親父悪いやつだった。首を締めてアゴ外して病院送りにした時は爽快だった。こんなこと書くと暴力的だと思われるかもしれないが、俺だって必死に戦ったんだ。本当に俺は優しい男なんだ。本当に。でも親父は許せなかった。