現虚夢

イェーイ

捨てられない靴

小学校くらいのころ、靴を捨てられるのが嫌だった。馴染んだ履き心地のいい靴を「もう小さくなっただろう」とか「もうボロボロだろう」とか言われて俺の気持ちなんか全く関係なくすぐ捨てられるのが嫌だった。良い靴を見分けるなんて今でも俺にはできないから、新しい次の靴がいい靴になるかどうかなんて博打だし、今の長く親しんだ靴を捨ててハズレかもしれない靴を履くなんていやだった。

小さい頃、よく歩いた。片道30分も学校まで歩いていた。酷暑だろうが大雨だろうが大雪だろうが、親も学校も歩かせた。何も言わず黙って靴は俺について来た。靴は身体化されていた。一番俺と一緒に居たのは靴だった。確かに少しずつ靴は綻んできたりしていた。でもまだまだ履ける。少し綻んだくらいで捨てるなんて考えられなかった。たまたま体は綻ばずピカピカのまま大きくなっていき、靴は少しずつみすぼらしくなっていったが、どちらも俺の愛着ある体だった。たまにみすぼらしくなっていく靴を見て目に涙を浮かべていた。定命の者よ……。健康オタクだから自分の体には愛着がある。こんなふうに体が壊れていくなら俺はその時も泣くだろうか。

今、俺は靴を捨てることにほとんど抵抗がない。というか、抵抗が出ないようにわざと安い靴を選び短期間で履き潰して履けないようにしている気がする。愛着がどうこうというよりも、履きつぶすまで履かないなんて勿体無い!という気持ちが本当のところなのかもしれない。3ヶ月でクロックスに穴が開いて履けなくなるので、すぐ捨てて新たなクロックスを買う。

大学に荻原くんというやつがいて、そいつは凄い。なんと高校の内履きを外履きとして大学3年生になるまで履いて登校してきている。どす黒く汚れていて紐があるのかないのかも分からない。かなり破けていて水はすぐ侵入してくるそうだ。しかもそれ内履きだぞ?外履きじゃないんだよ?本人は外面とか女の子ウケとか全く意識しない剛の者なので、以前「見た目ヤバいし替えたら?」と言ったところ「買い換える必要性が見当たらない」とちょっとムッとして言われたので、「まぁ汚いスリッパが好きなクリプキの伝説じみていてかっこいいし、哲学者って感じがするからね……」とだけ言っておいた。見た目がホームレスみたいであるのは確かだし、その何も気にしない姿勢がロックでかっこいいのも事実だ。どちらかというと俺も荻原くんほどじゃないがオシャレに無頓着という感じで常にダサい服や靴を身につけているので、自分の一面を見ているようでもある。オシャレは金がないとできないと思っていたけど、どうやらそうでもないことを最近悟りつつある。オシャレをするやつは毎日バイト入れてでもするんだ。俺は何もしない。なんの話だっけ?靴?最初はセンチメンタルな話だった気がする。でも本当に、昔は靴のために俺は泣いていたんだ。今はもう、何に対して泣いているのか分からない。ときどき泣いている。何かのために。実在性が極めてなさそうな何かに。