現虚夢

イェーイ

〈追記あり〉ウォルターはサンドラの顔くらい覚えていたし愛していたかもしれないが、父は俺の顔を覚えていなかったし愛していなかったと思う

小学2年生くらいのことだったろうか。俺は運動会に出ていた。笑顔で駆け回っていた。父はビデオカメラを回していた。母は弁当を持ってきた。

家に帰って父はビデオカメラの映像をテレビに繋いで写し始めた。運動会が終わって日に焼けてヘトヘトの体で映像を見ていると、テレビには同学年のトウヤ君が写っていた。俺ではなかった。疲れていても少しさわやかではあった心が陰った。

 

「これは俺じゃないよお父さん」と言った。父は笑って「似ていたから分からなかった」と言った。母も「あれだけ人がいたのでは仕方ない」と父を擁護した。

言葉にできないタイプのモヤモヤした雲が高速で心の周りを回転していた。怒るべきではないか?と思っていたかどうかは忘れた。とにかくモヤモヤしていたのは確かだが。俺は何も言い返さなかった。疲れていたのもあったし、そのころの俺は不満を明晰な言語で表して表明できるほど言葉をうまく操ることはできなかったのもあった。何を言ってもどうしようもあるまいという諦めに数秒で達していたと思う。そもそも多数決で負けている。俺は良い子だった。多数決の内容を内面化していた……が、しきれていなかったようだ。今ふと、嫌な記憶として思い出してしまったのだからそうだろう。

 

俺は何の話をしてもマジにならないが、唯一親の話だけはマジになってしまうような気がする。たまにはマジになって、誤ることをためらわず意見らしきものを力強く述べてもいいのではないか。生殖とか、子どもとかペットとかの家族の話もそうかもしれない。そういう話はなんだか冷静になれない気がして嫌いだ。

 

父はなんにも俺に興味がなかったように思う。母もそうかもしれないが、母は興味が無いというより自分と違う人間を理解する能力が決定的にないだけで、そもそも父は興味がないことが俺を理解できないことに先立っていたように思う。

 

俺はいつしか不登校になった。学校から先生が来て、父は先生に言う。「こいつが何を考えてるのか分からない。私も辛いんです」と。そうだろう。顔の見分けもつかないくらい俺に興味なんかないんだから、そりゃあなんにも分からないだろう。

父は46歳くらいで俺を子に持った。ちなみに俺は一人っ子だ。父は俺を子に持ってからすぐ飲酒運転で交通事故を起こして会社をクビになり、それからずっと無職だった。母はずっと看護師として汗水垂らして働いている。無職だから俺は父が嫌いなわけではなかっただろう。単純に嫌いだった。ありあまる時間を、ただ嫌韓サイトを見て義憤を燃やすことに使っていた。地獄かよ?金だけは持っていたから、「育ててやったのは誰だと思ってるんだ」式の糞ファッキン語もよく用いた。俺になんて興味はなかった。俺にとって父はただ毎日家でネットを見て、毎日他のオッサンと酒を飲み、毎日俺に不愉快な言葉を浴びせるただ臭いだけの同居人の男だった。嫌いにならない理由がなかった。

 

あるとき、父は俺に「お前はおかしい」と言った。いつも語気荒く反論して、時には首を締めて顎を外して気絶させたり、包丁を持って追い掛け回され鼻血で呼吸できないまま外を裸足で走って逃げたりしている俺だったが、このシンプルな言葉を聞いたときはただそれだけで一瞬で涙が上がってきて反論できなくなり、さめざめと他の部屋に行って泣いていた。1時間くらいただ涙が出て止まらなかった。なぜこんなシンプルな言葉で俺が泣いたのか、今でも良くわからない。しかし、忘れることはない。無理解をこれ以上無く表明され、そしてこれから理解することもないし理解するために努力することもない、とも表明されたように俺には感じられたのだろうか。とにかく、とても短い言葉に反比例してとてつもなく大きな絶望を短い時間のうちに感じ、脂ぎっていて血の気が多かった俺でも女の子のような泣き方をした。俺だって親は特別なものだと思っていた。最後の味方だと思っていた。でも違った。俺には世の中に味方なんて一人もいないということを悟った。ああ、ずっと一人だ……。そんな気持ちだっただろうか?

 

今は悟っている。そもそも俺は一人だってことは、はじめから分かっているじゃないか。

人は独りを嫌う。一人で飯を食うことを「ぼっち」と呼んでことさらに寂しさを表現する。みんなで集まりたがって、ワイワイ騒ぎたがる。最初から人間は一人だ。二人である人間なんて見たことあるか?みんなそれに気付かないように、忘れたいように、みんなで集まって互いをダシにして現実を見ないようにする。別にそんなことしなくたってよいようなことをみんな有り難がるし、時には人に強制させたり、考えを押し付けたりする。違うんや。俺は一人だ。わかるか?俺は二人じゃない。

 

怪奇!!!!怪人二十面相!!!!!!!!!!!ただし相貌失認。み、た、い、なーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

父は相貌失認だったのだ。だから俺の顔を見分けられなかった。発達障害だから会社もクビになるし、俺とのコミュニケーションは上手くいかなかったのだ。実はめちゃくちゃ息子のことを愛していた。そういうストーリー、どう?感動的?

 

心理検査を受けて、人の顔が描かれた絵を見せられた。「これになにか欠けているところはありますか?」全然分からなかった。俺も人の顔の見分けがつかないのかもしれない。もし俺が子どもを持つことになったとして、もし他の家の子どもを自分の子どもだと認識してビデオで写してきてしまったとしたら?ゾッとする。俺は俺を再生産することは絶対にしたくない。俺は幸福だけど、俺の幸福は俺のものなんだ。子どもくらい、子ども自身の幸せを享受してほしいじゃないか……。


〈追記〉父さんは二年前に死んだ。わりとあっさり死んだ。享年66歳。それなりに早く死んだが、まぁアホだったのでそうなるな、という感じ。

父さんは最後まで嫌な奴で、死ぬ直前までただでさえ看護師として働いている母を毎日病院に呼びつけ、意味もなく手間がかかるようなことばかり大量に母に頼み、アマゾンで100万円相当の買い物をして毎日大きなダンボール50箱程を家に送り、最後まで悪あがきをして死んだ。最後に良いやつだったと分かるラスボスみたいになるよりはよっぽどいい。一貫性があっていい。

わりかし早く死んでくれたので本人も周りも苦しまず済んだ。春休みに死んでくれたので葬式にも出れた。人が死んで嬉しいことなんであるもんだ、と思いながら葬式に出席。母が死んだら俺が喪主だ。今から面倒くさい。自分の葬式の準備くらいしてから死ぬのが日本人のマナーではないかね?

父が俺に残したものはなにもない。高尚な遺志も信念もない。なーんにもない。知恵も知識も授かってない。ダメ。全然何も無い。父のことなんかこのページに書いてあることが全てと言ってもよいくらい。それくらい空虚。

そしてこれを書き終わったら、もう本当に誰かに思い出されることは中々なくなる。父は俺の中で終わって、死ぬ。たぶん誰も父のことなんか気にしていない。それでよいだろう。特に悪名もないから立派だよ。お父さんさようなら!心置きなくこの文章を閉じたい。息子がきれいさっぱり父親に引導を渡すんだから、これ以上綺麗なことなんてない。


〈追記の追記〉

すごい嫌な文章になってしまった。ほぼ悪口しか書いてないじゃん!これだから家族の話はマジになってしまうと書いたのだ。でも本当に親父悪いやつだった。首を締めてアゴ外して病院送りにした時は爽快だった。こんなこと書くと暴力的だと思われるかもしれないが、俺だって必死に戦ったんだ。本当に俺は優しい男なんだ。本当に。でも親父は許せなかった。

さがさないでください

 帰ってきてなんの意図もなくただ部屋を見やると、「さがさないでください」とだけ書かれた紙が、机の上に乗っていた。
 一体なにを探せというのだろう?普通、「さがさないでください」というのはいいとこ中学生までの子どもが家出する際のお決まりの文句として紙に書き残していくものだろう。しかし、僕には子どもなんかいない。小さい子どもというだけでなく、一緒に生活する子どもというだけでなく、どのような子どもも僕は持っていないし、隠し子がいるとかそういう心当たりなんかもない。
「さがさないでください」という文字は定規を使ってカクカクに書かれている。筆跡を隠すためだろうか? 恐怖を読む相手に与える文字だ。僕はこの部屋に何者かが侵入したのではないかと考え、六畳一間を見回した。ただ本が積まれただけの部屋。なかなか高い専門書も積まれているが、盗まれた気配はない。乱雑に積まれたそのままの配置だ。少しのお金が入った通帳も盗まれた気配はない。
 まったく気味が悪い。研究室とアパートの自室を行き来するだけの毎日を送る、対して値打ちのあるものも持たないしストーカーされるほど誰かに好かれるとも思えない僕だぞ。
 そんなやつの部屋に入り込んで「さがさないでください」とだけ書いた紙だけ置いていくやつなんて、いるとは到底考えられない。もしそんなことをして楽しむやつがいたら、本物の男(女かもしれないが、それは無さそうだろう)と認めてはやるが。
 自分はセキュリティ意識が高いとは言えないが、窓の鍵と玄関の鍵くらいはちゃんと締めていたし、破られた様子はない。まさか僕の数少ない友人の悪ふざけということもあるまい。こんな最悪のセンスの悪ふざけをするピッキングが特技の暇で奇特な友人など、僕にはいない。いたら面白いだろうが。
 警察に言うべきだろうか?いや、こんなこと報告されたって警察も困るだろう。下手したら頭の病院を勧められる。実害はないことだし、ここは泣き寝入りをしておこう。仮にそんなやばいやつが本当にいたとしたら、それはそれで面白いじゃないか。防犯意識のかけらもない考え方だが、とりあえずはそう思っておこう。誰かが特に意図せずともなにかの拍子にこの紙が机に落ちたとか、そういうことも下手したらあるかもしれない。残念ながら僕の想像力では蓋然性が高そうな例などまったく考えもつかないが、身に起こった不思議なエピソードとしてひとつ携えておくのも悪くはない。
 放っておいたらそのことばかり考えてしまいそうになるので、意図して他のことをする。ちゃんと生活しなければ。飯を食う、風呂に入る、歯を磨く。そんな風に生活をやれば、体力のない僕はきっとすぐに何もできなくなって、やがて眠りにつく。紙をクシャクシャに丸めて、ダーツの要領でゴミ箱にシュートする。運が良かったので成功した。なにもかも、運だけが良くて成功したらいいのになぁ。そういえば運ってなんのことだろうなぁ。と、他のことを考えながら生活をやって、本当に眠くなってきたので眠ることにした。紙が誰によってどのように置かれたか考えるよりもずっと良かったということだろう。多分。

 朝、大学の三限に間に合うギリギリの時間に起きて朝飯(時間的には既に昼だが)を食いもせず歯だけ磨いて荷物をまとめていると、不意にまた机の上に「さがさないでください」を発見した。
 それを見つけた途端に僕としては珍しくシリアスな心情になる。こいつは恐ろしくなってきた。昨日の段階では呑気なものだったなぁと思えてくる。ゴキブリを見つけたときほどビクついて、しかしそれとは比べられないほど深刻なくらい朝から栄養のない頭が回転している。僕ははここで寝ていたんだぞ。どうしてまたこんな紙が机の上に置かれるなんてことがある? ゴミ箱を覗いたら昨日の紙はそのままゴミ箱にクシャクシャに丸まっていた。今日の紙は違う紙だ。また、新しい紙か。
 そう思っていると既に三限に間に合わない時間になっていた。相当手際よく準備してもギリギリ三限に間に合うくらいの時間に起きていたから、多少びっくりしただけでそういう時間になってしまう。持ち上げかけていたリュックを早々に床に置いて、脱力してもう一度布団に転がった。俺の三限を奪いやがって。許さんぞ。と思い、今度は紙をクシャクシャにせずそのままにしておいた。指紋とか、そういうのが出るかもしれない。警察に説明するのは想像するだけで大変そうだが、考えておかなければならないだろう。面倒だ。というか、僕の頭がおかしくなったんじゃないか? その公算も高い。大学に行ったら僕は頭がおかしくなってないか、と人に聞いてみようか。おかしな話だ。自分の頭がおかしくなっていても自覚なんかなかなかできない気がするが。
四限が始まるまで何をしていよう。目を瞑って考える。たっぷり寝たから、二度寝はいらないか? 起きて大学の学食に行き昼飯を食べてから講義を受ける、というのもたまには良いかもしれない。目を覚ましたばかりのだるい体を再び起こす前に目を開けると、顔の上に何かが乗っていた。
「さがさないでください」
 なんなんだ! 探さないよ! もう僕はびっくりなんかしていなくて、苛立ちのようなものを覚えていた。まずい。これはおかしい。なんだかもう大学に行くとか、そういう話じゃなくなってきた。僕、疲れてんのかな。たっぷり寝てるし、たっぷり食べている。たっぷり運動もしているし、たっぷり水も飲んでいる。たっぷり頭も使っているし、たっぷり性欲も満たしている。もう僕に何ができるっていうんだ?
 ああ、なんだか全てにやる気がなくなってしまった。いつもは食べない甘いものをたっぷり食べたくなってきた。酒もたっぷり飲みたい。寝ないでゲームをしていたい。時間をたっぷり使ってなんの得にもならない陳腐なことがしたい。研究やら健康やら予定やら未来やら、そんなものは一切考えたくない。ただ頭で考える前に体が求めたものだけを忠実に満たしていきたい。
「みつけてくれてありがとう」
 口がぼそりと呟いた。構うものか。今からてめえを愛で回して、飼いならしてやるぞ。まずはハーゲンダッツを二十個買ってきてやる。見たことはあるが食ったことはない。俺はやるぞ。

スイミングスクール

小学校2年生くらいからスイミングスクールに通っていた。通い始めた動機はかわいいものだった。小学校に入る以前に、母が勤める国立病院の敷地内にある長いこと俺が通った小さな保育園のたった5人かそこらの卒園式に出た児童のうち、年が同じで特に仲の良かった友達の総一朗くんがそのスイミングスクールに通っていたからだ。(一文が長すぎる。ちなみに病院ごと保育園は無くなってしまったので、年が違う児童も一緒に卒園した。それから総一朗くんとは別の保育園に入り、)小学校が別になってしまったので、ほとんど会うことがなくなってしまったからだ。

スイミングスクールに通い始めたら、割とすぐに総一朗くんのいるクラスを追い抜いて上級のクラスになってしまった。そもそも総一朗くんと同じ曜日に通っていなかったので、一度か二度くらいしか同じクラスで泳ぐことはなかった。(なぜ違う曜日に通っていたのに一緒に泳いだことがあるかと言うと、その時からもう水泳が嫌いになり、金曜の練習を月曜に振り替えてくれ、など、姑息な練習の先延ばしをしていたから。)

クラスはどんどん上がっていった。小学校5年生になるころには競泳選手用のクラスに入り、更に小学6年生になると全国大会に出る中学生や高校生らと同じメニューをこなすクラスに入ることになった。もう水泳は嫌いでしかなかった。ただただ苦痛だった。学校が終わってから、夜の9時まで、酷いときは一日に10キロも泳がされた。夏休みには二部連で一日に16、7キロも泳がされるただ苦痛一色の毎日。一日に16、7キロ泳がされるのは一日に16、7キロ走るのとは訳が違う運動量だ。(走るのと泳ぐの、どっちが速いと思う?)運動が終わった後は疲労で動けず、飯も食えなかった。ガリガリに痩せていた。もう総一朗くんと会うことなんて何も関係がないことをしていた。ただただ苦痛だった。毎日、練習メニューを見るのが嫌で嫌で、本当に暗い気持ちになっていた。疲労で勉強なんてできなくなっていた。それでも頑張り続けていた。その時はまだ、人間関係を守るとか、そういうことに俺はやる気があったんだ。ある時、鬼コーチが練習中に「もう疲れたよってヤツいる?」と、まさかそんな奴いないよな?という感じで聞くと、本気でありながらも冗談っぽく、俺はハイハイ!と元気よく手を挙げた。「じゃあもう帰れよ」と、コーチは出来の悪い俺を侮蔑するように言った。やる気のないヤツは本当にいらん、という感じだった。俺は帰った。コーチは止めなかった。本当に俺はいらないと言わんばかりだった。俺はもう諦められた。俺は何のためにこんなに辛い思いをしているんだろうと、更衣室で泣いた。それから俺はほどなく、水泳を辞めた。結局、総一朗くんとはなーんにもなかった。

水泳をやめて中学校でやりたかった柔道を始めると、飯が食えるようになり練習も大してキツくなかったので、1年ごとに10キロぐらいずつ体重が増え、平均並みの体重になった。柔道のコーチはめちゃくちゃ怖い人で、たぶん俺の人生で見た目や声があれほど怖い人はもう出ないだろうと思う。毎日ものすごい声で怒鳴られ、恐怖で体が強張りリラックスして技なんて出せなくなってしまうので、また怒鳴られた。毎日毎日、ただ怒鳴られていた。怒鳴られるたび、本当に死にそうな気分になっていた。柔道は好きだったが、柔道を辞めるとどうしても怖くてその人に伝えられなかったので、学校に行くのを辞めた。(学校に行くのを辞めたのは他の理由もあったかもしれないが)

俺の人生で、辛くなって人間関係をリセットしたりすることはよくある。というかここらへんから俺の人生はそういうのばかりになった。ここらが原初体験だろうか。人間関係に限らず、辛いことはすぐやめよう。今になって思えば、なんでもっと早く辞めなかったのだろう。辛くなることを俺にやらせたり、俺に怒る人間を見たら、すぐにその人間とは絶交していく感じでこれからはやっていきたい。

俺の父の葬式で、わざわざ式に出席してくれた総一朗くんと会った。とても声が低くなっていた。もしかして変声期から会ってなかったのか?嫌だなぁ。何も思うことはなかった。俺は総一朗くんに会うために頑張っていた。頑張っていた?

ああ、こういう風に思い出したことだけ書いていたら、すぐさま俺が死ぬような予期があるのはなぜだろう。走馬灯?思い出すということは、死ぬ前にすることなのかな?

追記:そういえば、そのスイミングスクールで泳ぐ夢をまだたまに見ることがある。コーチがいて、他の選手がいて、ギチギチのプールで窮屈に泳ぐ。後ろのやつに追いつかれないように泳ぐ。

福田先生、江幡先生。

中学のときの福田先生は優しい先生だった。配られたプリントを折り紙にして遊んでたら「作った人の気持ちも考えろ」と怒られたのは覚えている。発達のアレで手遊びが必要だったんだ。大目に見てくれ。その時くらいしか変な怒られかたをした記憶はない。優しくて倫理的で話の分かる人だった。

福田先生はある時、俺の家に来て、俺をドライブに連れて行った。気分転換を俺にさせて、「どうしてあんなことしたんだ?」と俺に聞いた。そんなの俺にも分からなかった。「誰かにフラレてショックだったとか?」別に俺は特に好きな女の子もいなかった。そんなに分かりやすい動機で何かをする人間じゃなかった。自分で自分が分からなかった。たぶん、肉体的にも精神的にも追い詰められていたんだと思う。きっかけっぽいものも、今から思えば無くはなかった気がするが、その時は何も分からなかった。ただ泣きたかった。ただ辛かった。理由が分からなかった。漠然としていた。漠然と辛いものだ。

高校生になったらもっと漠然と追い詰められていた。何もできなかったし、何も分からなかった。担任の江幡先生は3年間俺の担当で、やはり優しく、やはり話のわかる先生だった。ときどき定型特有の人間を操るムーブをする時があったが、ときどきだった。俺にはしなかった。高校生にもなっていたので、クールなお付き合いだ。でもずっと学校に行っていなかったので、いつも俺の家に訪問しにきていた。両親は江幡先生に的はずれなことを言っていた。時間の無駄だったし聞いているだけで嫌になる話だった。先生はスマートだった。最終的にめちゃくちゃ江幡先生に救われたのは覚えているが、どう救われたかは覚えていない。少しずつ、地味な配慮をしてくれて助かったかもしれなかったし、土壇場でドンと俺を引き上げてくれた気もした。どっちもだったかも。

先生らは親よりもずっと恐れ多い存在だったしずっと尊敬できる存在だった。大人はわりかし信頼できた。子供はあまり信用できなかった。倫理観もクソもない人たちばかりだった。

今は学校に行っている。ちゃんと大学に来いよとか励ましてくれる友達はいない。なぜなら普通に大学に行っているから。そもそもそんなこと言われたら的外れだし、たぶんこれからもそう。自分で勝手に単位も出ないのに休まず出たくなるような面白い講義があるからだ。それはそれで助かる。永井先生ありがとう。

捨てられない靴

小学校くらいのころ、靴を捨てられるのが嫌だった。馴染んだ履き心地のいい靴を「もう小さくなっただろう」とか「もうボロボロだろう」とか言われて俺の気持ちなんか全く関係なくすぐ捨てられるのが嫌だった。良い靴を見分けるなんて今でも俺にはできないから、新しい次の靴がいい靴になるかどうかなんて博打だし、今の長く親しんだ靴を捨ててハズレかもしれない靴を履くなんていやだった。

小さい頃、よく歩いた。片道30分も学校まで歩いていた。酷暑だろうが大雨だろうが大雪だろうが、親も学校も歩かせた。何も言わず黙って靴は俺について来た。靴は身体化されていた。一番俺と一緒に居たのは靴だった。確かに少しずつ靴は綻んできたりしていた。でもまだまだ履ける。少し綻んだくらいで捨てるなんて考えられなかった。たまたま体は綻ばずピカピカのまま大きくなっていき、靴は少しずつみすぼらしくなっていったが、どちらも俺の愛着ある体だった。たまにみすぼらしくなっていく靴を見て目に涙を浮かべていた。定命の者よ……。健康オタクだから自分の体には愛着がある。こんなふうに体が壊れていくなら俺はその時も泣くだろうか。

今、俺は靴を捨てることにほとんど抵抗がない。というか、抵抗が出ないようにわざと安い靴を選び短期間で履き潰して履けないようにしている気がする。愛着がどうこうというよりも、履きつぶすまで履かないなんて勿体無い!という気持ちが本当のところなのかもしれない。3ヶ月でクロックスに穴が開いて履けなくなるので、すぐ捨てて新たなクロックスを買う。

大学に荻原くんというやつがいて、そいつは凄い。なんと高校の内履きを外履きとして大学3年生になるまで履いて登校してきている。どす黒く汚れていて紐があるのかないのかも分からない。かなり破けていて水はすぐ侵入してくるそうだ。しかもそれ内履きだぞ?外履きじゃないんだよ?本人は外面とか女の子ウケとか全く意識しない剛の者なので、以前「見た目ヤバいし替えたら?」と言ったところ「買い換える必要性が見当たらない」とちょっとムッとして言われたので、「まぁ汚いスリッパが好きなクリプキの伝説じみていてかっこいいし、哲学者って感じがするからね……」とだけ言っておいた。見た目がホームレスみたいであるのは確かだし、その何も気にしない姿勢がロックでかっこいいのも事実だ。どちらかというと俺も荻原くんほどじゃないがオシャレに無頓着という感じで常にダサい服や靴を身につけているので、自分の一面を見ているようでもある。オシャレは金がないとできないと思っていたけど、どうやらそうでもないことを最近悟りつつある。オシャレをするやつは毎日バイト入れてでもするんだ。俺は何もしない。なんの話だっけ?靴?最初はセンチメンタルな話だった気がする。でも本当に、昔は靴のために俺は泣いていたんだ。今はもう、何に対して泣いているのか分からない。ときどき泣いている。何かのために。実在性が極めてなさそうな何かに。

睡眠導入剤

なんだか頭がおかしくなって来たな〜と思って心療内科に行ったところ、寝ればすぐ良くなりますよ〜とのことで名前も知らない睡眠導入剤を貰った。とてもよく効く。
どれくらいよく効くかというと、飲んでから「寝るか」とか口にしたり、頭の中で思ったりするとその時点で気絶したように寝てしまうみたいだ。それで一日目は布団を敷いてる最中に倒れて次の日の朝まで目が覚めなかった。
なぜか薬効が2日くらい続くらしく、「睡眠導入剤飲んで寝るか!」と思った時点で2日目は飲む前に寝てしまった。一回飲むと48時間くらいは迂闊に睡眠関連のことは考えられなくなってしまうので厄介だ。直接口にしたり、頭の中で唱えたりしなくとも、布団を敷いて布団に入るとかそういう映像的イメージをするだけでも駄目っぽい。あと、寝る、という文字を書いたり打鍵したりするのもダメ。飲めばよく眠れるようになりますよと言われたけど、具体的にどうよく眠れるのかを聞いておくべきだった。初めて使って起きたときにこんなに強力な薬なのかとびっくりして、2日目でようやく変なことに気づいたから良かったけど、あの医者は不親切だな。薬剤師も教えてくれればよかったのに。
まあよく眠れますよと言われたら、普通はよく眠れるのか、としか思わないしな。俺もその時どう眠れるのかとか聞くことはできなかっただろう。眠るっていうのは自分の力だけではできなくて、せいぜい布団に入るとか目をつぶるとか羊を数えることぐらいしかできないものだから、寝ようと思っただけで眠れるのは便利だ。

キツネの夢

ひどい夢を見た。n度寝したから他にも悪い夢を見たのだが、覚えていない。クーラーを付けて寝るようにしたら途端に悪夢を見るようになった。偶然か?

実家の家の裏が蔵王キツネ村みたいになっていた。小さい柵があって中と外にキツネがいた。外にいるキツネはめちゃくちゃ人懐こく、頭をすりつけたり甘噛みしてきたりするのだが、「こいつらは蔵王キツネ村のキツネじゃないし、エキノコックス持ってるかも分からんやん!」とビビると、噛まれた部分とへその近くが小さく腫れていることに気がついた。
こりゃあやばいと母に言うのだが、「こんな時間に病院は開いていないぞ」と言われる。「緊急外来に連れてってくれや」と伝える。蔵王キツネ村にいたときは確かに明るかった(天気は曇り)のだが、なぜか今はアナログ時計が午後十一時を指しているし、外は真っ暗。大きな病院は実家から車で20分はかかる遠い場所にあるし、俺は免許を持っているが車を持っていないしなにより今は体調が危うい。母が車に載せてくれる。
シートベルトに座ると、なぜか心拍数とかのバイタルサインが車のメーターのとこに表示される。近未来的でかっこいいデザインだった。たぶん心拍数とかが危うくなればシートベルトに内蔵されたAEDが背中とかお尻から俺の心臓を電気ショックする。金持ちの友達の新型リーフに乗ったら座席ヒーターでケツが暖かくなってめちゃめちゃビビったのを思い出した。
片側3車線ぐらいの道を通って病院に行く。そんなに車線がある道路田舎にはなかったはずだけど。中学生のころの美術の教師が選挙カーみたいなのに乗って「辛いことがあったら相談しろ。電話番号は……」と言っている。いつから職業を変えたのだろう。こんな夜中に騒音を出して大丈夫か?
夢の中でのエキノコックス菌は、体の一部を引き攣らせてひん曲がらせる、というものだと理解していた。現実にはどうかは知らない。とにかく夢の中ではそう思っていた。唇がひん曲がり出して、これはエキノコックスに違いないと確信していた。
緊急外来に着くと、すぐさま男の若い医者(知らない人)が俺の唇を診た。銀色の棒で俺の唇をいじって。今思えば、菌を診るのに顕微鏡とかいらんのか?そして「完全にエキノコックスですね」と告げる。この時点でかなり死のリスクを覚悟したのを覚えている。治してほしい一心だった。というか、俺が唇がひん曲がったことがエキノコックスのせいだと思ったのはたんなる思い込みに過ぎないし夢の中の俺もそれを自覚していたはずだろう。なのに医者が全くそれを正しいと思わせるような動きをしたのは偶然なのか?必然か?しかし死の瀬戸際ではそんなことを考える余裕はなかったかもしれない。
男の医者は脇で見ていたもう一人の中国出身の若い女性の医者(これは知っている人)に、このように応急処置をしろと言って、俺の唇を銀色の棒で激しく擦った。女性の医者は言われた通りにする。今思えば、こんな応急処置しかないのかよ!ベッドに横たえられてすらいない。診察室の椅子に座ったまま、唇を擦られる。助けてくれ!死にたくない!歯医者にありそうな銀色の棒で激しく擦られて唇が痛い!痛い!痛い!死にたくない!助けて!

苦悶の表情で夢から醒めた。なんだ夢か。最近人間関係とか締め切りとかで苦しんでいるし、夢くらい楽園にいれたらいいのにな。最初のキツネは天国だったのに、なんでエキノコックスとか連想しちゃうのかな。しかも実は勘違いでしたとかじゃなく本当に死ぬパターンで話が進んでいたし。俺は心底では死にたいのか?そうかもしれない。少なくともめちゃめちゃネガティブなのは言うまでもない。アイス食べたいな。やっていきましょう。他にも最低な長い夢を見ていたけど、内容はぜんぜん覚えていない。覚えていられたらいいのに。逆に、夢の中では現実の記憶の想起とかできてるのか?途中で知っている人はたくさん出てきたけど、それは別に現実世界の記憶を参照して夢の中で知っている人だと理解していたかは定かじゃない。スマートホンだとはてなブログけっこう書きづらいな。よく操作が分からん。